分析マネジェント論:エビデンスとインテリジェンスの違いの観点から

はじめに

DXの加速により、企業が日々扱うデータ量は爆発的に増加しています。この変化の中、意思決定の質を高めるため、多くの組織では「データドリブン」な意思決定の実現が図られています。しかし、その実践においては混乱も見られます。この要因の一つは、データから導かれる情報の質的な違いへの理解が不十分なまま、データ活用が進められている点にあると考えています。

この状況を整理するため、本稿では異なる二つの情報形態に注目します。それが、科学的なエビデンス(以降、エビデンス)とビジネス・インテリジェンス(以降、インテリジェンス)です(注釈:法的証拠としてのエビデンスは、本稿の対象外とします)。両者は一見、分析プロセスを経て得られる似たような成果物に思えます。しかし、エビデンスは再現性と一般化可能性を重視し、インテリジェンスは状況固有の洞察と時宜性を重視するという本質的な違いがあります

以降、この二つの情報形態の本質的な違いを明らかにし、それぞれの特性に応じた分析マネジメントのあり方を探求します。

二つの情報形態とその特性

データは最も基礎的な層をなし、これが整理・構造化されインフォメーションとなります。そして、インフォメーションは二つの異なる道筋で高次の情報へと変換されます。一つは、科学的な検証プロセスを経るエビデンス、もう一つは、状況固有の分析要求によってその生産が開始されるインテリジェンスです(注釈:近年のインテリジェンス研究では、分析要求を起点とする伝統的なインテリジェンス生産の限界が議論されています)

1:データから得られる二つの情報形態

両者の特性の違いは、その変換過程の違いに由来します。エビデンスは、個別の研究成果がシステマティックレビューやメタアナリシスという統合のプロセスを経て、より確かな科学的知見へと変換されます。一方のインテリジェンスは、具体的な分析要求を起点に、データの収集、分析、報告のサイクルを通じて形成されますが、確かさよりも時宜性が重視される点が特徴です。

それぞれの本質をより深く理解するため、まずエビデンスの特性から見ていきましょう。

情報の最終形態❶:エビデンスの特性

「あなたは、獣医さんを自身のかかりつけ医に選びますか?」という問いに対し、私たちはためらうことなく「選ばない」と答えるでしょう。それは、人間の医療には、人間を対象とした研究から得られた知見が必要だと理解しているからです。

同様に、「ある治療法を、一人の患者での成功例だけを根拠に採用しますか?」という問いに対しても、私たちは慎重な姿勢を示すはずです。それは、より多くの患者での検証を経た治療法を求めるからです。

このように、医療などの日常的文脈で、私たちは自然と科学らしさを理解し求めています。具体的には、科学的知見の「再現性」とその「適用範囲の明確さ」の二つです

2:エビデンスに求められる特性

情報の最終形態❷:インテリジェンスの特性

運悪く空き巣の被害に遭ってしまったとします。この時、あなたはどんな捜査を望むでしょうか。仮に防犯カメラに犯人の顔が映っていたなら、最も期待するのは映像と顔認識技術を用いた迅速な犯人の特定でしょう。

もちろん、被害者の属性や地域固有の犯罪パターンの統計分析も可能ですが、それは具体的な映像証拠がない場合の補助的な情報に留まります。自分が被害者ならそのような統計的知見の開陳よりも、もっと強力な証拠に基づき解決に当たって欲しいと望むでしょう。

この例は、インテリジェンスの本質的な特性を示しています。それは、具体的な状況における意味の解釈と、その状況に応じた判断への貢献です。犯人映像という決定的な証拠がない場合、統計的な分析も有用な補助情報となりますが、それはあくまで現場の専門家による状況認識を支援するものに留まります。

このように、インテリジェンスは特定の意思決定文脈における有用性を重視します。それは即時的な判断の場面でも、将来への備えが必要な場面でも同様です。例えば競合他社の動向分析では、個別の事象の背後にある意図や戦略的な含意を、その業界特有の文脈の中で解釈することが求められます。

3:インテリジェンスの特性

分析マネジメントの実践ガイド

分析者の基本特性

分析者の基本的な特性に関して、マーク・M・ローエンタール(米国下院情報委員会委員、CIA長官補等を歴任)は、彼の著書『インテリジェンス: 機密から政策へ』の中で、以下のように指摘しています。 

分析者は根底にあるパターンを見たがり、その全てを説明したがる。しかし、政策決定者が知りたいのは、興味ある事象で起きている奇跡である。

この指摘は、分析者と意思決定者の間にある本質的な緊張関係を示しています。科学的思考に長けた分析者は、事象の背後にある因果関係を解明し、一般化可能な法則を見出そうとします。これは、まさにエビデンスの生産に適した思考様式です。一方、インテリジェンスが求められる場面では、個別具体的な状況における「異常値」や「例外事象」にこそ意味があることが少なくありません。例えば、通常のパターンから外れた取引データは不正の兆候かもしれず、市場の異常な動きは競合他社の戦略転換を示唆しているかもしれません。

分析マネージャーはその業務の位置付けから、意思決定者の特性とのギャップを埋めるように、現場の分析者の育成を考える必要があると言えます。

4:分析者と意思決定者の特性の違い

ただし、分析者が一方的に意思決定者の要請に応えれば良いという考え方は、現代では機能しにくくなっています。これはローエンタールが指摘した分析者の特性(パターンを見出し体系的に説明しようとする傾向)が、複雑化する意思決定環境において重要な価値を持つようになっているためです。

例えば、先の空き巣被害の予防では、地域特性や犯罪パターンの把握が不可欠であり、ここに分析者のエビデンス志向が役立ちます。現代の組織には、分析者の両義的な特性(パターン志向と個別事象への着目)を効果的に活用する術が求められるのです

人材の適性と配置

分析マネジメントでは、分析者の基本的な特性(エビデンス志向)を活かしつつ、インテリジェンス的な視点も併せ持つ人材の育成が求められます。例えば、以下のような段階的なアプローチを取ることで、組織として必要な分析力の計画的な育成を目指します。

採用段階

  • エビデンス志向の強い人材(理系バックグラウンド等)を基本とする
  • 論理的思考力と共に、状況への適応力も評価項目に含める
  • 不確実性や結論の曖昧さに対する許容力を重視する
  • 事業価値への関心と理解(収益性、市場性等)を確認する

育成段階

  • エビデンス生産の基本スキル(研究デザイン、統計学、データサイエンス)の徹底
  • インテリジェンス的視点の段階的な習得(業界分析、競合分析など)
  • 不完全な情報下での分析演習(シナリオ分析、感度分析など)
  • 事業部門との協働プロジェクトを通じた実践経験の蓄積

配置・異動

  • 初期はエビデンス生産中心の業務への配置
  • 経験に応じてインテリジェンス要素の強い職務へのローテーション
  • 事業部門への一時的な配置による現場感覚の養成
  • 最終的に両領域を往来できる人材としての活用

分析プロセスとシステムの設計

組織規模に応じた設計が重要となります。特に注意すべきは、規模の拡大に伴い「分析の質」と「スピード」のバランスが難しくなることです。 

小規模組織(30名以下)

  • 体制:一人の分析者が両方の役割を担当
  • 課題:限られたリソースでの分析範囲の適切な設定
  • 対応:エビデンス型とインテリジェンス型の分析を明確に区分した情報提供

中規模組織(100名程度)

  • 体制:エビデンス担当とインテリジェンス担当の分離
  • 課題:部門間の分析アプローチの不一致
  • 対応:分析手法の標準化と知見の共有体制の構築

大規模組織(500名以上)

  • 体制:専門チームの設置
  • 課題:分析の重複と非効率化
  • 対応:分析基盤の統合と、分析テーマの一元管理による重複排除

評価の仕組み

適切な評価の仕組みがなければ、分析の質は時間とともに劣化していきます。ここでは、エビデンスとインテリジェンスの特性を踏まえ、それぞれの評価項目を提示します。

エビデンス生産の評価

分析プロセスの品質
  • 再現性の確保(分析手順の文書化、コードの管理)
  • 手法の妥当性(外部専門家によるレビュー、代替手法との比較)
  • 不確実性の定量化(統計的な信頼区間の明示、前提条件の明確化)
知見の活用度
  • 組織内での知見活用(部門横断での利用状況、活用事例の蓄積)
  • 外部からの評価(業界からの参照、学術的な引用)
  • 実務への展開(特許出願、製品開発、業務改善への貢献)

インテリジェンス生産の評価

時宜性と的確性
  • 意思決定タイミングとの整合性(判断に間に合った報告の割合)
  • 状況変化の早期把握(競合動向や市場変化の察知)
  • 不確実性の適切な伝達(事実と分析的推論の切り分け、リスク・機会の優先順位付け)
意思決定への貢献
  • 分析結果の採用度(提示オプションの採用率、判断根拠としての活用)
  • 戦略的影響度(戦略・方針変更への影響、重要判断での活用)
  • 予見的価値(早期警告の実効性、将来リスクへの対応力向上)

評価結果の活用

評価の目的は、分析の品質管理に留まらず、組織全体の分析力向上にあります。以下では、人材と組織の両面における具体的な活用方法を示します。 

人材育成への活用

  • エビデンス評価:分析手法の習熟度診断と研修設計への反映
  • インテリジェンス評価:重要判断での貢献度分析と人材育成計画への反映

組織能力の向上

  • 分析プロセスの継続的改善(ベストプラクティスの特定と展開)
  • 組織体制の最適化(分析機能の配置とリソース配分の見直し)
  • 組織的学習の促進(分析知見の体系化と活用の仕組みづくり)

今後の展望

私たちが直面する意思決定の複雑性は高まっています。例えば、パンデミック下での事業判断は、科学的な感染リスクの評価と、刻々と変化する状況への即応の両方を必要としました。また、気候変動への対応では、長期的な環境影響の科学的分析と、規制動向や市場の反応への機動的な対処が同時に求められています。このように、エビデンスとインテリジェンスの二分法では捉えきれない状況が増えています。

しかし、これは単に両者を併用すれば解決する問題ではありません。両者の統合には本質的な課題が存在するからです。エビデンスの質を保ちながら時宜性を実現する。あるいは、インテリジェンスの時宜性を保ちながら科学的な厳密性を高める。これらは本来、相反する要請なのです。

この課題に対し、私たちは二つの方向からアプローチすることができます。一つは、エビデンス生産に即応性を取り入れる方向性(Intelligence-Informed Evidence: IIE、もう一つは、インテリジェンス生産を科学的厳密性で強化する方向性(Data-informed Intelligence:DIIです。

Memo本稿のDIIという略称には、二つの意図を込めています。第一に、科学的営みにはデータが不可欠であるという認識。第二に、従来のインテリジェンス分析(情報分析)が分析対象をデータよりもインフォメーションに置いてきた点を踏まえ、データをインテリジェンス生産の重要な「要素の一つ」に位置付けるという考えです。
なお、インテリジェンスの世界では、SIGINTなど、データを直接的な分析対象とする領域も存在します。しかし、本稿で提案するDIIは、科学的推論の基礎としてのデータ分析を重視する点で、これらとは異なります。DIIは、公開データの統計的分析や因果推論など、科学的な厳密性を持つ分析手法の体系的な活用を指向するものです。

評価の仕組みは組織の成熟度に合わせ発展させます。初期は基本指標の測定から始め、関係者からの質的評価も含めた包括的な評価・活用の体系化を進めましょう。

図5:エビデンスとインテリジェンスの新たな展開方向

IIEの事例:パンデミック下におけるエビデンスの活用

通常の診断ガイドラインは、長期的な臨床試験や慎重な検証プロセスを経て確立されたエビデンスに基づき決定されています。しかし、パンデミックという外部要因は、この意思決定の時間軸を根本から覆しました。必要な判断のスピードと、科学的な厳密性の確保という、一見相反する要請に応える必要が生じたのです。

この課題に対し、イスラエルは積極的なアプローチを展開しました。国民皆保険制度と高精度な医療データベースを活用し、ワクチン展開に伴う大規模なリアルワールドデータを即時的に収集・分析。この過程で得られた知見は、従来の臨床試験と比べれば大胆な側面はあるものの、状況に応じた実践知(インテリジェンス)を、検証可能な科学的知見(エビデンス)に可能な限り近づけ、必要な意思決定を可能にしました(注釈:イスラエルの取り組みは、ターゲット・トライアル・エミュレーションと呼ばれる因果推論手法を広く認知させる契機ともなりました)

この事例の特徴は、科学的な検証プロセスを維持しながら、状況に即応した知見の生成と実装を実現した点にあります。これは単なる迅速な意思決定ではなく、従来の科学的手法を足場としながら、現実の要請に応える知見生成の可能性を示唆した事例と言えます。科学的な厳密性(エビデンス)と状況即応的判断(インテリジェンス)の両立を目指したIIEの実践例として参考になるでしょう。

DIIの事例:サイバー脅威インテリジェンスの進化

サイバーセキュリティ分野では、攻撃の検知と対応において、セキュリティ分析者の経験と判断が重要な役割を果たしてきました。1990年代からはIDS(攻撃検知システム)などの自動化ツールも導入されましたが、脅威の察知と対応判断には、依然として分析者の専門的知見が不可欠でした。これは状況適応的な判断を重視する伝統的なインテリジェンスアプローチの一例と言えます。

近年の脅威インテリジェンスは、人的経験と技術的検知の統合を基盤に、より構造化されたアプローチへと発展しています。例えば、MITRE ATT&CKフレームワークを活用した分析では、攻撃者の戦術(初期アクセス、横展開)、使用される技術、具体的な手順という階層的な視点からデータを収集・分析します。この構造化された分析軸により、断片的になっていた脅威の把握が、より科学的な営みへと進化しています。さらに、AI/MLを組み込んだSIEMSecurity Information and Event Management)などの現代的ツールの登場により、このフレームワークに基づく分析を大規模に実行することが可能になりました。

このように、人間の専門的判断とテクノロジーの利点を活かしながら、理論的基盤を持つ分析軸を確立することで、より体系的で解釈性の高いインテリジェンス生産へと発展しています。これは、科学的なアプローチとインテリジェンスの統合を目指すDIIの実践例として捉えることができるでしょう。

まとめ

本稿では、エビデンスとインテリジェンスという二つの情報形態の本質的な違いを探究し、それに基づく分析マネジメントのあり方を検討してきました。エビデンスが再現性と一般化可能性を重視し、インテリジェンスが解釈性や時宜性を重視するという特性の違いは、効果的な分析マネジメントを構築する上での基本的な視座を提供します

しかし、現代の組織が直面する課題は、この二分法的な理解だけでは対処が難しくなってきています。経営環境の変化が加速する一方で、科学的アプローチの基盤となるデータは飛躍的に増加しています。この二つの潮流により、状況への即応性と科学的な確かさの両立が求められる領域は着実に広がりつつあります。

このような変化に対し、本稿で提示したIIE(状況即応性を備えたエビデンス)とDII(データ科学で強化されたインテリジェンス)は、新たな可能性を示唆しています。それは単なる分析手法の進化に留まらず、組織における分析機能の再定義と、それを支えるマネジメントの革新の必要性を示唆するものと言えるでしょう。

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